スウェーデンのサッカークラブ、FC Kabel Attio へようこそ
このエンターテイメントに満ちたWebsiteでは、主にはGothenburgの70キロ東、Boras市に所在を置く、スウェーデンのローカルクラブ、FC Kabel Attioについての紹介、試合結果や統計資料などを掲載しています。
あいにく、ほとんどの記事やリポートはスウェーデン語で書かれていますが、ここではスウェーデンのもっともエンターテイメントに満ちたクラブの数々をご紹介していきたいと思います。
FC Kabel Attioは1979年に創設されました。
創設記念日につきましては、異なる意見があり、8月12日や9月12日という者もいれば、季節は春だったという者もいます。
正確な創設記念日はともかく、創立のきっかけはMariedals IK という地域のクラブの若い数名の選手達が、1978年10月26日から11月3日のGran
Canariaへのパーティートリップを経て、今のFC Kabel Attioを創設するアイディアを得たと言われています。
Maredals IKは、今日では世界一大規模な屋内ユーストーナメント、Mariedal Cupの例年の主催者として国際的に知られています。
新しいクラブの創設はその翌年に予定され、1980年の春、一番初めのゲームが行われました。
クラブの名前は始め、FC Kabel 80 IFと呼ばれていましたが、命名直後にFC Kabel Åttioと改名されました。
なぜFC Kabel Attioと名付けられたかは、創設者の中で厳密に秘密とされています。
しかし、FCという文字から予想して、Football club ではなく、パーティークラブとも解釈できるのです。(スウェーデン語でパーティはFestです。)そして、Attioはスウェーデン語の綴りから、数字の80と訳せます。
創設初期は、FC Kabel Attioはサッカー、フロアボール、ボーリングと3つの競技に参加していました。
しかし、この過去20年は競技事項上、サッカーのみで参加しています
クラブの本拠地はRyda Sportfaltと呼ばれる、Boras北西にあるViskan川のすぐ近くに位置している場所にあります。
この競技場は、地域で共用されているので、競技場はあまりいい手入れがされているとは言えません。
クラブカラーは茶色ですが、特に政治的な関係があるわけではありません。茶色のジャージの訳は以下の通りです。
1979年の創設初期は、クラブのためのシャツやズボンを調達する為の資金が不足していました。
取締役会の二人のメンバーはスポーツの用具類を作る、Borasの近くに位置する小さな村、OlsforsにあるSportjohanへ行きました。
まもなく、彼等はその当時の最新の衣類を購入する為の資金が全くないことを知ります。
Shikashi, karerawa miseno
hontouni katasumi ni oitetatta furukute, bukakkoude sukoshi kimino warui youna chyairo
no collection ni megatsukimashita. Karerawa sorewo kounyuushi, soreirai, FC
Kabel Attio wa chairo no ja-ji o kite katsudou shiteimasu
しかし、彼等は、店の本当に片隅に置いてあった、古くて不格好で少し気味の悪いような茶色のコレクションに目をつけました。彼等はそれを購入し、それ以来FCKabel Attioは茶色のジャージをきて活動をしています。
初期のシャツはこのウェブページのBildgallenという所から、Matchdrakstscollage という所をクリックして頂いて、ご覧になって下さい。
クラブのシンボルにも特別な意味が含まれています。
野外のトイレのドアという意味があるのです。
私たちが知る限りでは、世界にこのようなチームはないと思います。
クラブの白と黒のシンボルはこのウェブページのForeingenとKlubbmarkeというところでご覧になって下さい。
他にこのクラブで特殊なことと言えば 取締役会は一人を除いては1980年からずっとクラブで活躍している選手達です。
取締役会のメンバーはクラブチームからしかリクルートしません。
そして、クラブマネージャー、トレーナー、選手、そして取締役会メンバー全員がクラブのために無償で活動しているということも私たちが誇るクラブの魅力の一つです。
このボランティア精神こそが私達が活動していける秘訣なのです。
元々、資金がなかったクラブなので、サラリーを払う余裕もありませんでした。
1980年から1985年まで、初期のチームは7部と8部の間を上がったり下がったりしていました。
1986年以降は、ある一年を除いては、FC Kabel Attioは6部で活躍しました。2005年には、5位という成績で終わりました。
この2005年のリーグ試合では、クラブから3チームが出場しました。
一つ目は、A-laget、二つ目はB-lagetと三つ目がOld Boys, Boys35のVetsというチームです。
その他にも二つ、短期の屋内トーナメントに出場した、女性チームのde bruna bönorna (the brown
beans)とBoys-19のユースチーム、Juniorenaがあります。
私たちには大きな目標があります。
2002年12月に取締役会がクラブを2028/2029シーズンまでにUEFAチャンピョンリーグへ導こうという大きな目標を立てました。
そのビジョンにおいて、2028年までにFC Kabel Attioは100.000人の観客を動員できる競技場を建設するという目標も掲げています。
その競技場は現在のRyda Sportdaltの土地に建てられる予定です。
Viskan川は自然のままこの構造に統合されており、この競技場の主な区画の真下に流れる予定です。
さらに、Kabelvisionenという自己のTV会社とスパ付きの大きなクラブハウスもここに建てられる予定です。
現在、Ryda Sportfältには小さな楽屋/衣裳部屋と倉庫しかありません。
クラブ自体は、構造の全てが沢山のユーモアと面白いやり方で成り立っていることでスウェーデン中で有名です。
FC Kabel Attioはさらに審判員やゲームの相手チームにも評判がとても良いです。
この人気の一つの例として、世界一大規模な屋内サッカーユーストーナメント(19 year old boys)、Mariedal
Cupでの成功が挙げられます。
私たちのチームは観客を沸かすためにプレーをし、主に他のチームの選手から構成されているたくさんのサポーターがいて、これらのことがクラブの応援歌や大きな応援の声とともになんとも素晴らしいチームの雰囲気を作り上げるのです。
声援だけではなく、応援の仕方も様々です。
私たちのサポーターの中には、今ではStrasbourgのフランスリーグクラブで活躍しているスウェーデン人選手、Pontus FarnerudやAlexander Farnerudがいます。
この兄弟は、スウェーデンの他の地域の出身ですが、彼等はMariedal Cupで私たちのクラブと出会い、一目惚れしたそうです。
先に述べたように、このウェブサイトはほとんどがスウェーデン語表記ですが、多くの良い写真を掲載していますので、どうぞご覧になって下さい。
以下はこのウェブサイト上でそれぞれの項目でどんなことが書かれているかの簡潔な紹介です。
クラブに直接投書をご希望であれば、下記の住所にご気軽にお送りください。
FC Kabel Åttio
c/o Kjörnsberg
Saliviagången 4
507 52 BORÅS